(日本語)
この7月、厚生労働省は、戦後のシベリアでの抑留中に死亡した日本人1,202人の身元が新たに判明したと発表し、この結果、身元が判明したのは計3万8,280人となった。
シベリア抑留問題とは、1945年8月の終戦後、シベリアやモンゴルで約57万5千人の日本人がソ連により抑留され、厳寒の中で満足な食事も与えられずに苛烈な労働を強要させられ、約5万5千人が亡くなった問題である。中央アジアや中国、朝鮮に移送され、そこで強制労働の結果、命を落とした者も多い。
日本とロシア両国政府が、死亡者名簿提供、死亡者の遺骨引き渡し等、未だ解決されていない諸問題に関する協議を定期的に行っている。1993年訪日時、エリツィン・ロシア連邦大統領は、ロシア政府及びロシア国民を代表してシベリア抑留という非人間的な行為について謝罪の意を表明した。
(スペイン語)
El pasado mes de julio, el Ministerio de Salud, Trabajo y Bienestar anunció
que se aclaró la identidad de los 1.202
japoneses que murieron por la Retención
en Siberia después de la Segunda Guerra Mundial,
por lo cual un total de 38.280 víctimas
han sido identificados hasta ahora.
El problema de la Retención
de Siberia es que tras el término de la Segunda Guerra Mundial en agosto de
1945, unos 575.000 japoneses fueron
detenidos e internados por la Unión Soviética en Mongolia y
Siberia, y fueron obligados a trabajar
forzadamente sin suficiente nutrición en lugares de extremo frío, causando la
muerte de unos 55.000 personas. Muchos fueron transportados a
Asia Central, China y Corea, donde
perdieron la vida por el trabajo forzado.
Los gobiernos de Japón y Rusia celebran periódicamente reuniones para
discutir cuestiones no resueltas como la entrega de listas y restos de las personas
fallecidas, entre otras cosas. En 1993 durante su
visita a Japón el presidente de la Federación Rusa, Boris
Yeltsin, pidió disculpas por estos actos
inhumanos de la Retención de Siberia en nombre del pueblo
y gobierno ruso.
(解説)
1 惣菜屋の長男だった私の叔父は、召集され、大陸で終戦を迎えた後にソ連に抑留され、ウラジオストクの収容所等で強制労働を強いられ、中国・朝鮮国境地帯に移送され、そこで再び祖国を見ることなく亡くなった。享年25歳。未だに遺骨は見つかっていない。私自身、2010年に日本側団長としてロシア側との協議(シベリア抑留問題に関する第4回日露協議)で相当激しくやり合った経験があるが、依然として遺骨引き渡し等未解決の問題が残っているのは痛恨の極みである。
2 シベリア抑留者は、終戦後、武装解除後に不当連行された方々であって、戦闘中に投降した「捕虜」(英語ではprisoner of warまたはPOW、スペイン語ではprisionero de guerra)とは意味の異なる特別かつ異例な問題なので、「抑留者」という呼称が使われている。これを踏まえて、この項でも”retención” とした。或いは”internamiiento”でも良いと思う。外国で抑留者問題について説明する際、この点注意が必要である。
0 件のコメント:
コメントを投稿