2015年8月27日木曜日

今日のスペイン語(379) 引用句:lavarse las manos

 或る程度スペイン語を勉強された方ならば、“lavarse las manos”という表現が、「手を洗う」他に、「揉め事や問題から手を引く」という意味もあることはご承知であろう。さて、この出典が新約聖書であることはご存じだったろうか。いくつかの福音書(例えばマルコによる福音書(Evangelio de San Mateo))に記されている。

エルサレムで捉えられたイエスであったが、当時ローマから派遣されていたユダヤ総督のピラト(Poncio Pilato)は、ユダヤの習慣に従ってイエスを恩赦しようと試みたが、祭司長達と群衆は、盗賊のバラバ(Barrabás)を放免してイエスを十字架にかけることを要求した。ピラトは彼らの要求を受け入れてイエスの磔刑を決めるが、その際に手を洗って、“No soy responsable por la sangre de este hombre.”(私はこの男の血に対して責めを負わない。)と述べたと伝えられている。「私の手は血にまみれていない」と言うためのジェスチャーなのだろう。

このような経緯があるので、今でも、” Os dejo todo. Yo me lavo las manos.”(君達に全部任せたから、もう俺は知らないよ。)と言うのは、責任逃れの意図が透けて見える。この表現を使う文脈には気を付けた方がよい。

 なお、ピラトが責任逃れをしたのに対して、エルサレムの群衆は“Que su sangre caiga sobre nosotros y sobre nuestros descendientes.(イエスの血は、我々と我々の子孫でかぶってやろう。)”と叫んだと言われている。このため、ユダヤ人は救世主イエスを殺した民であるとして、後世のアンチセミティズムに繋がったとも言われている。

 余談だが、スイスのルツェルンのそばにPilatusという名の山がある。この山にピラトの亡霊がやってきたという言い伝えから、この名称となった由である。風光明媚な場所なので、近くに行く機会があったら、是非お薦めの訪問先である。

 もう一つの余談。太平洋戦争勃発の直接のきっかけとなったハル・ノートだが、1942年11月27日にこれを発出した後、国務長官コーデル・ハルがスティムソン陸軍長官に、「私はこれで手を洗った」と述べた由だが、「戦争が勃発して血が流れるが、それは国務長官である自分の責任ではない」という意味である。

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