2014年6月7日土曜日

今日のスペイン語(81)  5月35日

  6月4日は、天安門事件25周年。スペイン語圏でも各紙が特集を組む等して取り上げた。スペインの新聞から(あまりに長い記事なので)ごく一部を取り出してみた。アジアについてスペイン語圏で語る時、固有名詞(地名や人名)のスペイン語風発音を知らないと困るので、この記事をきっかけに少し覚えておこう。

Hace hoy 25 años, en la noche del 3 al 4 de junio, los tanques del Ejército Popular de Liberación (EPL) entraron en las calles de Pekín con una orden tajante: desalojar la plaza Tiananmen de los miles de manifestantes que la ocupaban. Antes de 6 de la mañana. Como fuera. (中略)Los soldados se abrieron paso hacia la plaza a disparos, y varios cientos de personas –más de mil, según algunas fuentes- murieron bajo las balas del Ejército y aplastados por los acorazados en las calles que conducen a Tiananmen. (中略)Para las 5.40 del 4 de junio, Tiananmen había sido desalojada, y el sueño de reformas y democracia de toda una generación de chinos se evaporó.(中略)

 Un cuarto de siglo después, el Movimiento Prodemocrático de 1989, como es denominado, y su(la?) violenta represión continúan siendo tabú para el Gobierno, que este año ha redoblado los esfuerzos para borrarlo de la memoria colectiva y ha reprimido con dureza cualquier intento de los familiares de las víctimas y activistas de conmemorar a los fallecidos.(中略)

  El dramático episodio es obviado en los libros de texto, el término “4 de junio” –o “6, 4”, como es llamado en China- está vetado en Internet, y sus referencias en las redes sociales son borradas rápidamente por los censores, aunque algunos internautas intentan saltarse los filtros con términos como 35 de mayo.(中略)

 Lo sucedido aquella primavera de 1989 continúa teniendo una alta carga política y emocional en China, como prueba (d)el nerviosismo del Gobierno, que incluso ha advertido por medio de la policía a periodistas extranjeros que no entrevisten a “personas sensibles” ni visiten “sitios sensibles”, que no ha detallado, o se exponen a “consecuencias muy graves”, en una velada amenaza sobre la posible cancelación del permiso de residencia. Algunos de quienes lo han hecho han sido interrogados durante horas mientras eran filmados con cámaras de vídeo.(以下略)(6月3日付El Paíshttp://internacional.elpais.com/internacional/2014/06/03/actualidad/1401776160_306349.html

 
(日本語訳)
 25年前の今日、6月3日の夜から4日にかけて、人民解放軍の戦車が、厳格な命令を受けて北京市内に入った。その命令とは、「天安門広場から数千人の抗議者達を排除せよ。翌朝6時までに。手段は問わない。」である。(中略)兵士達は発砲しながら広場に向かい、数百人が(数千人との情報もある)、天安門広場周辺の街路で、軍の銃弾の犠牲となり、或いは装甲車にひき潰されて命を失った。(中略)6月4日の午前5時40分までに、天安門広場から人々が一掃され、当時の中国国民が夢見た改革と民主主義も消え去った。

四半世紀の後、1989年民主主義推進運動(と呼ばれる動き)と、それに対する暴力的な弾圧は、政府にとり依然としてタブーである。中国政府は本年、この事件を人々の記憶から消し去るための企てを更に強化し、犠牲者の家族や活動家達が殺された人々を追悼する如何なる試みも、厳しく弾圧してきた。(中略)

 この悲劇的事件は、教科書から消され、「6月4日」、或いは中国で言う「6.4」はインターネット・アクセス禁止であり、ネット上でこの事件に言及すれば、検閲者達によって直ちに削除されてしまう。尤も、ネットユーザーの中には、「5月35日」のような用語で検閲をすり抜ける者もいる。(注:6月4日は5月でいえば35日にあたる。)

 1989年春の事件は、未だに中国にとって政治的、感情的に大変な重荷である。中国政府は非常に神経質になっており、警察を通じて外国人記者達に対して、「機微な人物」への取材と「機微な場所」への訪問を控えるべきであり(誰が、どこが機微なのか明言しないものの)、さもなくば居住許可の取り上げのような「重大な結果」を招き得る、と警告してきた。(この警告にもかかわらず機微な取材等を敢行した)何名かの記者は、録画されながら何時間も尋問された。(以下略)

 
(解説)
1 このブログ記事のタイトルを何故5月35日としたかは、もうお分かりと思う。昨年北京に行った際、6月4日や天安門等のキーワードを、日本語、英語、スペイン語、ポルトガル語とフランス語で検索してみたが、全てアクセスを拒否された。中国語のliu si6.4)はもちろんアウト。


2 私達日本人は皆、学校で世界史や世界地理を習ったので、アジアについては、英語圏やスペイン語圏の人達と比較にならない程多くの知識を持っている。ところが、いざ議論になると、肝心の固有名詞がスペイン語で出てこず(日本語で発音しても通じないし、まして漢字を書いても意味がない)、悔しい思いをした記憶がある。今や、中国情勢は話題になることが多いので、名の通った中国人の名前くらいはスペイン語でも言えるようにしておきたい。以下はほんの一例。なお、発音はアルファベット読みで可。

Hu Yaobang(胡耀邦)
Zhao Ziyang趙紫陽
Deng Xaoping(鄧小平)
Li Peng(李鵬) 以上、天安門事件関係者。
Mao Zedong毛沢東
Xi Jingping (習近平 国家主席
Li Keqiang (李克強 首相)
Wang Yi王毅 外相
Sun Yat-sen (孫文)

 

 

 

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